2001年 10 月 10日は、現在下院議会少数派の民主党リーダーであるナンシー.ペロシ氏が下院少数派の初の女性院内幹事に選らばれた日である。下院の院内幹事としての就任は2002年の1月からであるが、 ペロシ氏は2007年には米国議会で女性初の議長に選ばれた稀な人物でもあり、2008年には 広島を訪問しているため日本でも馴染みのある政治家である。
ペロシ氏は、1940年3月26日にメリーランド州のバルチモアで6人の子供の末っ子として生まれ、1962年にカトリック系のトリニティ.ワシントン大学を卒業した。 バルチモアで12年間市長を務め、米国の民主党議員であった政治家の父に影響を受け、学生時代から政治に関心を持っていた。1961年1月のジョン.F.ケネディの就任演説に参加したこともある。在学中、ポール.フランク.ペロシ氏と出会い1963年9月にバルチモアで結婚し、結婚後ニューヨークに移転。その後カリフォルニア州のサンフランシスコに移転した。1976年にカリフォルニアから民主党全国委員会のメンバーに選出された後、政治家としての力量を発揮し始める。1981年から1983年までカリフォルニア州議会の民主党議員として活躍し、1987 年6月から1993年1月までに米国下院議会の民主党議員となる。
ペロシ氏は、2001年10月10日、下院少数派の院内幹事に選出され、2002年1月に就任し、2003年1月まで院内幹事を務めた。院内幹事は英語でウィップ(Whip)と呼ばれ、下院議会の民主党内で二番名のランクである。また、院内幹事はリーダーの補佐的な存在であり、党の政策とリーダーを支持するメンバーを監督する役目を果たす。女性でこのような地位を保持したのはペロシ氏が米史上初めてである。 その後は2007年まで下院少数派のリーダーとして議長の下に民主党のリーダーを務めた。また、2007年1月から2011年1月までには米史上初の女性下院議長(60代目)を務めた。2010 年11月の中間選挙で下院議会の共和党は63議席を増やしたため多数派となり、ペロシ氏は共和党多数派が選出したジョン.ベイナー氏に議長の地位を譲る結果になった。従って、2011年1月から下院少数派の民主党リーダーとして現在に至っている。
下院議会では議長が最高ランクであり、次に共和党および民主党にそれぞれリーダーが存在し、そのリーダーの下にそれぞれ院内幹事が存在する。従って、下院議長の下に選出されるリーダーは院内幹事を含めて共和党および民主党にそれぞれ2名の合計4名存在する。上院議会の場合、憲法上で副大統領が最高ランクとして定めている。その下に儀式上の上院仮議長(President Pro-Tempore)が存在する。現在、バーモント州出身のパトリック.リーヒー氏が2012年12月から就任している。上院仮議長の下には、下院と同じ構造の4名のリーダーが配置されている。両院の合計8名のリーダー達は全て議会党内で選出される。
上記のような米国議会のリーダーシップの構造の中で、ペロシ氏は米史上初の女性の民主党リーダーおよび下院議長としての経歴を持つことで知られている。医療、人権 、環境問題などの分野で強い政策を支持している。また、後輩の女性議員の良きアドバイザーでもある。2010 年11月の中間選挙で下院議会の共和党が大幅に議席を増やし下院議長の席をベイナー氏に譲る事態になった時も辞職せず、下院の民主党リーダーとして留まることに成功した女性である。また、日本でも幾分馴染みのある女性政治家である。2008年9月には広島の平和公園を訪れ、原爆死者の慰霊碑に献花し、被爆体験者の話を聞くなどの経験がある。