1964年10 月14日はマーチン.ルーサー.キング博士のノーベル賞への授賞が決まった日である。マーチン.ルーサーは、米国の公民権運動において、非暴力の認識を世界的に深めた歴史的に著名なリーダーである。彼は1968に暗殺されるまで、様々な形態の人種差別に対する挑戦を続け、多数の功績をを残し、真にノーベル賞に値する名誉高い人物である。しかし、彼の死後50年以上が経過した今日も人種差別は執拗に続いている。5月25日ミネアポリスで、警察官の暴力によって窒息死したジョージ.フロイドに対する人種差別について、13日の公聴会で聞かれたエイミー.コニー.バレットは、黒人の養女である娘に言及し「非常に個人的」な問題であると答えた。
人種差別を排除するため戦ったマーチン.ルーサー.キング(1929年1月15日〜1968年4月4日)は、バプテスト牧師の息子として、ジョージア州アトランタで生まれた。マーティン.ルーサーはジョージア州の人種分離された公立学校に通い、15歳で高校を卒業し1948年に、父と祖父が卒業したアトランタの著名な黒人教育機関であるモアハウス大学で文学士号を取得した。ペンシルベニア州のクローザー神学校で3年間神学を学び、主に上級クラスの会長に選出された後、神学士を授与された。1951年にクローザーでフェローシップを獲得し、ボストン大学の大学院に入学し、1955年に博士号を取得した。1954年にはアラバマ州モンゴメリーのバプテスト教会の牧師になった。また、NAACP(全米有色人地位向上協会)の実行委員会のメンバーでもあった。1955年12月初旬、最初の偉大な黒人非暴力デモのイベントで、382日間のバス.ボイコットを率いた。
加えて、1956年12月21日、米国最高裁がバスの人種差別を義務付ける法律を違憲と宣言した後、黒人および白人は同じバスに搭乗した。ボイコットの期間、キングは逮捕され、彼の家は爆撃され、彼は個人的な虐待を受けた。この時から彼は非暴力の黒人のリーダーとして知られるようになった。1963年8月28日「わたしには夢がある(I have a dream)」のスピーチ後、ジョンF.ケネディ大統領およびリンドンB.ジョンソン大統領のキャンペーンにも参加した。1968年4月4日夕方、テネシー州メンフィスのモーテルの部屋に隣接するバルコニーに立っていた時、銃殺により暗殺された。それまでの長い公民権運動の戦いの中で、20回以上逮捕され、数回暴行を受けた。しかし、彼は5つの名誉学位を授与され、1963年にタイム誌のMan of the Year(その年に最も活躍した人)に選ばれた。彼はアメリカの黒人の「象徴的なリーダー」であるだけでなく、世界に尊敬される人物にもなった。
彼は公民権運動のリーダーとして、スピーチが描写する人種平等と平和のレガシーを残した。彼の名誉を称えるため、毎年8月、リンカーン.メモリアルで開催されている記念行事は、そのスピーチのレガシーとその名誉が語り継がれる機会になっている。そして、彼は非暴力の抵抗でノーベル平和賞を受賞した。10 月14日に授賞が決まり、受賞式は12月10日にノルウェーのオスロで開催された。1964年以来、この賞に関連するすべての文書は秘密として分類され、ノルウェーのノーベル委員会の広範なアーカイブに保管されていると政府サイトは伝えている。ノーベル平和賞は、平和、非暴力、直接行動の原則における卓越したリーダーシップの為、彼個人に授与されたが、キングは「賢明な抑制、そして雄大な勇気は、私たちの国全体で正義の統治と愛のルールを確立しようとする非暴力の道」を開いたと述べ、「何千人もの子供たちは、肉体的な打撃と拘束に直面しても、彼らの魂の力は暴力の力よりも大きいことを知った。ノルウェー議会は、この運動の国際的な称賛を未知の数千人に与えた」と述べた。
1950年代および1960年代は、人種分離、人種差別の慣行がアメリカの制度およびアメリカ人の生活に深く浸透し、アフリカ系アメリカ人に対する人種差別への抵抗は、交通機関を含む公的場所での座り込み、行進、集会、投票権の戦いを通して、公民権運動を拡大した。この運動はアメリカの歴史に深いルーツを残したが、マーチン.ルーサー.キング博士による公民権運動は、第二次世界大戦終焉の1945年から1960年代の後半まで続いた。キングが率いる運動の中で、誰もが知っているのは1963年8月28日のI have a dreamのスピーチである。この日のイベントは、約25万人の参加者がワシントン記念塔からリンカーン.メモリアルまで1マイルを行進し、1863年に奴隷解放宣言に署名したエイブラハム・リンカーンに敬意を表した。この集会の主な目的は公共施設と公立学校での人種分離を廃止することを要求する為であった。
彼の死後から52年以上が経過した後も黒人に対する人種差別は残っている。しかし、50年前より、大多数の米国人は人種差別者ではない。今年5月から全米で開始された Black Life Matter(BLM:黒人の命も重要である)のプロテストに参加している若い世代の大半は白人である。彼らは深く、人種の平等を求めている。それは、現在、トランプ大統領の最高裁指名判事として、14日三日目の司法委員会での公聴会で、パネルメンバーの厳しい質問に直面しているエイミー.コニー.バレットも同様であると信じたい。彼女は13日の公聴会で、民主党議員ディック.ダービン(イリノイ州)に5月25日、警察の手によって窒息死したジョージ.フロイドのビデオを見たかと聞かれ、バレットはハイチからの養女である17歳の娘ビビアンの反応について語った。「上院議員、ご想像のとおり、私には2人の黒人の子供がいることを考えると、それは私の家族にとって非常に個人的なものでした」と言った。当時、彼女の夫は息子を連れて週末にキャンプ旅行をしていた時であり、フロイドの死に対する怒りが国で噴火していたと述べた。また、娘にとって「非常に困難でした」と語り、彼女とビビアンは「私の部屋で一緒に泣きました」と説明した。また、養女である娘の兄や息子がそのような残虐行為を将来経験するかもしれないという会話があったと語った。また、体系的な人種差別についてどう思うと聞かれ「人種差別は私たちの国でも持続しています」と述べ、それが完全な人種差別であるかまたは体系的な人種差別であるか、向上する為にはどのように取り組むかについて、それらは政策の問題です」と答えた。