79年前の今日1941年12月7日、数千人が死亡又は負傷した大日本帝国海軍による驚きの真珠湾攻撃は、知らない人がほとんどいないほど著名な日米間の歴史の一つである。日本軍の驚きの襲撃は、第二次世界大戦(WWII)を導く要因になった。当時の米国大統領であったフランクリンD.ルーズベルト(FDR)と圧倒的多数の米国民は、WWIIに参加することを反対していた。米国が直接WWIIに参加する結果となったこの日の真珠湾攻撃には必然的な理由があった。その一部は、今や忘れられているかもしれない。
真珠湾訪問者ビューローによると、軍人の死亡総数は2,008人の海軍人員、109人の海兵隊員、および218人の陸軍の合計2,335人である。加えて、68人の民間人が死亡した為、合計2,403人が公式な被害者である。この中で、1,177人はUSSアリゾナ(1910年代に建造された米国海軍の戦艦)に属していた。負傷者の数は、海軍710人、海兵隊69人、陸軍364人、民間人103人で合計1,143人である。日本の人的損失の合計は55人であった。
真珠湾攻撃に対応して米国が第二次世界大戦に参加する前、ヒットラーが率いるドイツ軍がポーランドを侵略した後にWWIIは1939年9月1日に始まり、ヨーロッパで大規模な戦いが激化していた。英国とフランスはドイツに宣戦布告したが、米国は公式に中立的な立場を維持していた。当時の大統領フランクリンD.ルーズベルト(FDR)は、アメリカが戦争に参加するという考えを表面的に支持し、イギリスに必要な支援を与えたが、FDRは大恐慌と第一次世界大戦中の大規模な損失と混乱による葛藤から、個人的にはWWIIに参加することを約2年半近く躊躇していた。ヨーロッパで戦争が勃発した直後にルーズベルトは緊急閣僚会議を招集し、直接脅迫または攻撃されない限り、米国は戦争に参加しないことに同意した。一般的なアメリカ人も中立の立場を望んでいた。戦争勃発後の1939年に行われた世論調査では、94%が戦争に反対していることを示した。加えて、 その軍事力は単に準備ができていなかった。ヨーロッパの危機に突入することは、アメリカ軍の完全な損失を意味していた。しかし、1941年12月7日の日本軍による突然の真珠湾攻撃は、その状況を変えた。
なぜ、日本は驚きの攻撃を遂行したのか?それには幾つかの理由がある。アジア太平洋地域へのグローバル的な経済的拡大を目指していた日本は石油、鉱物、鉄鋼などの天然資源が不足していた。しかし、米国は日本の侵略に対して、米国の日本の資産を凍結するなどの過酷な経済的制裁を課していた。真珠湾攻撃は日本が太平洋を拡大し、天然資源を獲得し、制裁が解除される結果には至らなかった。又、日米両国は何十年も合意できない問題があり、最終的に戦争は避けられない状況があった。日本には、人口統計学的および経済的問題を解決する為、中国の輸入市場を拡大するという目的があった。1937年に日本が中国との宣戦布告を決定した時、アメリカは日本に対して貿易禁輸と経済制裁を課した。米国がイギリスとオランダと共に組織的に課した石油禁輸は、石油なしに日本の軍隊は機能しない為、石油の90%を輸入していた日本に深刻な脅威を与えた。ワシントンと東京間で何ヶ月も交渉が続いたが、何の決議もなく、最終的に日本は攻撃する決定をした。
加えて、真珠湾攻撃はロジスティック(兵站学)的な理由もあった。戦争は避けられなかった為、日本は突然、攻撃することで、アメリカ海軍をできるだけ早く破壊する事を選択した。日本は、石油やゴムなどの重要な天然資源を提供できる領土を征服するために、オランダ領東インドとマラヤに移動したいと考えていた為、日本軍は、アメリカ艦隊の大部分を破壊することで、アメリカがまだ被害から回復している間に、フィリピンとマラヤを征服することを計画していた。真珠湾攻撃が行われている間に、これらの場所で同時攻撃を開始した。ルーズベルトは日本人による攻撃を予期していたが、その予期はほとんどの学者によって拒否された。しかし、シカゴ.トリビューンは1941年12月4日に極秘戦争計画「レインボー.ファイブ」を発表し、米国陸軍省は日本との戦争の準備を整えた。
近年の米国の指導者は、国とは無関係の紛争に介入することが多くなっているが、約80 年前の指導者は全くその逆であった。極秘戦争計画がメディアに報告されたことはルーズベルト政権の主要な情報漏れであるが、大統領による意図的なものであるとの噂もあった。当時、戦争は避けられないと考えていたのは日本だけではなく、米軍のリーダーや政治家も同様に日米間の戦争は必然的であると見ていた。日本軍が真珠湾を攻撃した翌日の1941年12月8日、米国は日本に対して戦争を宣言した。日本が攻撃的な野心を燃やしていた最大の要素は、なんと言っても地勢経済学的な不安定性であるが、天然資源を含む経済的な問題がなかった米国が日本の状況を深く理解していたかどうか疑問である。