ロックスプリングス殺戮事件に見る中国人への劇的な差別の歴史

At the Rock Springs massacre, 28 people were killed because white miners  feared Chinese immigrants | by Matt Reimann | Timeline

By T. de Thulstrup

1885年9月2日の午後、ワイオミング州ロック・スプリングスで、約30人の鉱夫が大勢の白人によって襲撃され虐殺された。1880年代、ユニオン・パシフィック鉄道会社に雇用された何百人もの中国人の採炭者は米国に移民労働者として入国しており、彼らはいわゆるチャイナタウンと呼ばれる集落地に住んでいた。銃や他の武器で武装した100人以上の白人男性は、近辺の鉱山で中国人労働者に対する流血の惨事を展開した。この事件の最終点で見えることは、中国移民が米国政府によって、最も差別的な待遇を受けた移民であるという米国の暗い歴史の側面である。

ユニオン・パシフィックの鉱山労働者は長年、更に良好な労働条件を求めて組合を結成し、ストライキを試みていたが、強力な鉄道会社は彼らを常に支配していた。怒った鉱山労働者は、中国人をスケープゴートにして非難した。ユニオン・パシフィックは当初、彼らの多くをスト破りとして、ロック・スプリングスに移送させた。中国人採炭業者は勤労者であったが、採炭者の組合にはほとんど関心を示していなかった。特に収益性の高い鉱山で働く権利を誰が持っているかについての論争があり、暴力は、アメリカ人鉱山労働者によって計画された高賃金のスト参加を中国人労働者が拒否した後に発生した。この暴力によって28人の中国人が殺害され、15人が負傷し、79軒の家が炎上した。多くの遺体は炎に投げ込まれた。数百人の中国人労働者は町から追い出され、彼らは周囲の丘に逃亡した。物的損害は当時150,000ドルと推定された。

連邦軍は1週間後に中国人労働者を炭鉱に連れ戻した。 秩序を回復した後、軍隊は1898年までロック・スプリングスに留まった。連邦政府は領土内での行動に対する責任を拒否したが、グロバー・クリーブランド大統領は議会に中国人の財産の喪失を補償するよう要請し、議会はこれを遵守した。ロック・スプリングス殺戮事件は長年蓄積された白人による鬱憤が主要因である。驚くことではないが、136年前に発生した事件の背景にある基本的問題は、移民に反対する近年の白人の主張と全く同じである。白人労働者は、中国人移民が彼らよりも少ない賃金で働くことをいとわないため、問題の大部分は中国人労働者から引き起こされていると主張した。ロック・スプリングスの中国人労働者が白人鉱山労働者とスト攻撃を行うことを拒否したとき、グループ間の緊張は限界に達した。白人労働者らは、武器を回収するために鉱山から自宅に戻った後、9月2日の午後、白人男性と女性はチャイナタウンを襲撃した。

米国発展の歴史に中国人労働者の貢献を考慮することは不可欠である。1860年代には、中国人は大陸横断鉄道建設に奉仕した。工事が開始された1863年から1869年に完了するまでの期間に人種差別だけでなく、過酷な天候下での労働で多数の中国人労働者が死亡した。しかし、1882年5月には、米国議会は10年間中国人労働移民を受け入れないとする米史上、最も人種差別的な中国人排斥法( Chinese Exclusion Act) を可決した。議会は、この法律をさらに10年間延長するため1892年のギアリー法を制定した。この法律で、米国に滞在している中国移民は身分証明書を携帯することを課し、それに違反した場合、国外追放を義務化した。その後、外交官、教師、学生、観光客のみの入国を許可し、中国人に他の多くの制限を課した。議会は、1902年に中国人排斥法をさらに10年間延長し、その2年後には中国移民を受け入れる門をほぼ完全に閉鎖した。この中国人に対する差別的な法律が撤廃されたのは1943年である。つまり、長年低賃金で奉仕した中国人は60年以上、米国議会によって最も差別的待遇を受けた移民のグループである。

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