何も知らない党とは何か?

By Catholic Journal

米国では強い反移民、特にローマ・カトリックの反感情の結果として、1840年代半ば、新たに発展した政治的な風潮があり、時には秘密の社会で結束していた。それは「何も知らない運動」として発展し、その後「何も知らない党」と名付けた米国の政党が生まれ、1850年代に栄えた。そして1856年の大統領選挙で、米国初の共和党全国大会が開催され、最初の共和党候補者が指名された。しかし、最初の共和党大統領は1861年まで誕生していない。

「何も知らない運動」はアイルランド人とドイツのローマ・カトリックの移民に対する多大な反感情が増加したことによって出現した政治的風潮である。この運動は1840年代に、秘密の組織について聞かれた時、「何も知りません」と答えたその運動が起源である。彼らは、市民権を得るまで20年以上待つことを含めて、帰化法を改正することを提唱するなど、移民には厳しかった。この運動は、カトリックがローマ法王からの命令を直接受けるとの理由に基づき、カトリックの候補者には投票しないことなどを提案した。そして1840年代後半、幾つかの秘密組織である反カトリック社会を統合した「何も知らない党」が1850年半ばに結成され、その後アメリカ党とも呼ばれた。彼らは前住民またはアメリカン・インディアンを中心とする政治組織であり、メンバーは都市の労働者または小規模の農民であり、彼らは新たな移民による安い労働者と不慣れな文化に脅威を感じていた。

また、「何も知らない党」は1850年代半ばに、地方および州の選挙で、特にマサチューセッツとペンシルベニア州で圧倒的な勝利を果たした。しかし、1855年までには奴隷制度の問題で、南部と北部に分裂した。大統領選挙が行われた1856年には前大統領(第13代)ミラード・フィルモア(1850年 – 1853年)は「何も知らない党」から押された候補者として、南部からの強い支持を受けた。一方、北部のほとんどの 「何も知らない党」のメンバーは、カリフォルニア州出身の米国上院議員であり、同州で共和党を創設したジョンC.フリーモントに投票した。彼は、1856年6月17日から6月19日まで、ペンシルベニア州フィラデルフィアで開催された最初の共和党全国大会で、最初の共和党大統領候補者として指名された。大統領選挙には、フィルモア(21.5%)、フリーモント(33.1%)、ジェームス・ブキャナンの3人の候補者が立候補し、民主党候補者のブキャナン(45.3% )がもっとも高い投票率で第15代大統領(1857年 – 1861年)として選出された。フィルモアが惨敗した為、このユニークな選挙後、反移民感情による「何も知らない運動」の政治的な風潮はほとんど衰え、奴隷制度がもっとも重要な課題となり、奴隷をめぐる政治的論議が活発になった。共和党最初の大統領エイブラハム・リンカーン( 1861 年3月- 1865 年4月)は、奴隷制度を廃止した最初の大統領である。

要するに、米国では1840年代半ばに「何も知らない運動」が台頭した時、そのメンバーになることを考慮していた人々やグループは、彼らの見解や活動を聞かれた時、「何も知りません」と答えたことから、この表現が流行した。当時、多くの移民はヨーロッパ諸国から来ており、ローマ・カトリックであった為、「何も知らない運動」はカトリック教会にも反対した。彼らは、米国における先住民族の政党および運動として、「何も知らない党」を1850年代半ばに結成した。それ以前、正式には「アメリカ原住民党」と呼ばれていたが、その後は単に「アメリカ党」と呼ばれていた。しかし、アメリカ党は1856年に最初の共和党候補者が大統領選挙に挑戦した後に衰退し、リンカーンが最初の共和党大統領として就任する前年の1860年に解散した。一部の歴史家は、「何も知らない党」が近代史の中で、偶に台頭する第三党の起源であると見ている。

アメリカ・ウオッチ- Yuko's Blogをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む