続編1:同時多発テロの21年の歴史を振り返る

By Slide Player

2001年9月11日に起きた同時多発テロから21年後の今日もテロリズムの戦いは終わっていない。2011年9月11日の前後、10周年を記念する特別企画番組が放送された。番組の内容は、各テレビ局により異なったが、総体的には9・11後の米国の変貌を検証したものが多い印象を受けた。当時、9・11が米国にとって歴史上最大の惨事であり、如何に大きな心理的影響を米国人に与えたかを物語っていた。特に私が感心を持った二つの番組の一つは、2011年8月28日にナショナル・ジオグラフィツク・チャンネルが放映したジョージ・W. ブッシュ前大統領の独占インタービューで後世に残る回顧録として、当時の個人的体験とその時の心境を淡々と語ったものである。二つ目は、同年9月6日にPBSテレビが放映した2年間の調査報告による共作「トップ・シークレット・アメリカ」に基く報道番組であった。複数の専門家に加えて、ピューリッツァー賞受賞作家およびジャーナリストであり、この共作の主人公であるダナ・プリーストが解説していた。

特別企画テレビ・インタービューで画面に映し出されたブッシュの表情には、当時の攻撃的な印象は衰え、幾分憂いさえ感じられた。ブッシュは、9・11の朝、フロリダ州、サラソタの小学校2年生の読み書きのクラスに参観していた。最初の航空機が世界貿易センターのツイン・ビルに衝突したことを、午前9時25分に知らされた時、「最初の反応はひどい天候か、またはパイロットの異常事態により、何らかの途方もない事故が発生したと思った」と語った。更に二機目が、別のセンター・ビルに激突したことを聞かされたとき「誰の仕業だろうかと思い、教室の授業に集中することはほとんどできなかった」とし、「その時、すぐ教室を飛び出ることより冷静さを保つ事だと決め、10分後に教室を出て、ホワイト・ハウスの緊急室に向った」と語った。三機目が午前9時40分頃ペンタゴンに激突した時、「戦争の宣告を受けたと解釈した」と話した。その後、最後の四機目のユナイテッド航空93便が10:03分にペンシルベニア州のシャンクスヴィルに墜落し、全員が死亡したことを知らされた。この日、一日中、大統領専用機で各地を飛び回っていたブッシュは、アンドリュー空軍基地から、三機目がペンタゴンに突撃した後の煙を目撃した。ブッシュは「まず、他の人達と同様、家族の安否が気になり、どうしたら国を守れるのだろうかと思い、米国は攻撃され戦争ゾーンになってしまった。決して、予期したことでも、望んでいたことでもなかったが、自分は戦争ゾーンの大統領であると自覚し、多くの決定をする原因になった」と語った。当日のホワイト・ハウスからの大統領演説の趣旨は、「一連のテロ攻撃により米国の自由が標的にされ、悪魔の手により、突然、数千人の米国人が死に追いやられた。テロリストが、大規模なビルを崩壊することは可能でも、アメリカの基盤を揺るがすことはできない。米国は、自由と機会に恵まれている点で世界で最も輝いた国であるため攻撃の標的となったが、国民が一致団結してテロリストとの戦争に勝ち取ろう」という内容であり、最後の段階で、彼は「被害に遭遇した家族の悲しみと、国の安全性が脅かされたことを痛み、詩篇23篇〔旧約聖書)からの祈りを捧げる」と述べた。

翌日、ブッシュは「我々は違う類の戦争に直面したという新たな真実に気付いた」と話し、「米国人は皆同様に不安、恐怖、ショック状態で、相当な精神的ダメージを受けていたが、大統領が精神的な打撃を受けたことを知られて、テロリストに勝利感を味あわせたくなかった」と語った。事件から3日後に、ニューヨークのグランド・ゼロで、救済活動に専念していた警察官や消防士を激励した際、「一人でも多くの人と握手し、一人でも多くの人たちと目を合わせるよう努めた」と語った。このインタービューでブッシュが強調したかった点は、「テロリストに勝利はありえない。彼らは、米国民の人生と国の経済にひどい打撃を与えたため、勝利したと確信しているだろうが、米国を敗北させることは断じてない」とうことである。2011年5月、オバマ大統領から、「オサマ・ビンラディンが殺害されたことを知らされたとき、正義はなされたと思った」と語った。ブッシュはこのインタービューで「対テロリズム」政策の詳細を語ることはなかったが、「米国民に対するこのような未曾有のテロ攻撃は二度と起こらない」と、自らの決意を表明した。この決意の裏にあったものは何であったのか?

ダナ・プリーストは「トップ・シークレット・アメリカ」の中で、9・11後、米国が築いた国家機密安全保障の詳細を批判的そして詳細に紹介し、如何に9.11が米国を変えてしましたかを検証した。このドキュメンタリーのテーマは、「対テロ戦争」の動機を「怒りと恐怖に導かれた決断」であるとし、内容の主要点は、「この戦争は最初から極めて機密性の高い戦争であり、情報を必要とする戦争である」ということであった。「最初から秘密に満ちた戦争である」理由について、プリーストは「敵が誰なのか、その敵はどこいるのか、様々な未知の恐怖があったため、政府は、入手情報をすべて取り締まる必要があった」と述べた。上記したブッシュのインタービューでも明白な通り、ブッシュは「戦争ゾーンの大統領であると自覚し、多くの決定」をしたことで、「対テロ戦争」の戦略として国民が知らない間に、次から次ぎに夥しい数の秘密組織を結成した。ブッシュ政権第一期目に、米国の対テロリズム専門家として、アルカイダ戦略を統率したコファー・ブラックは、映画007の「殺害を認可する」タイプの戦争を開始し、「本人の生死に関わらず、オサマ・ビンラディンを探せ」と命令し、「20項目の決定を非常に素早く行い、冷戦後最大の数々の秘密作戦を許可した」と述べた。

当時、ブッシュ政権下で、対テロリズム安全保障グループの議長に任命されたリチャード・クラークは、「大統領は、新たな戦争に必要なものは全て準備すると決心し、我々が必要なものは全て提供すると言明した」と語った。2002年までに、当時の米国国防長官、ドナルド・ラムズフェルドが、ペンタゴンでの秘密グループ結成の拡大に努め、金力と権力を増強させた。また、証拠もなく、イラク侵略に大量破壊兵器を掲げ、アメリカ特殊作戦部隊を結成し、2003年3月から開始したイラク戦争の指揮を努めた。更に、米国国土安全保障省と司法省が提携して作り上げたテロリズム防止と対応を行う連邦政府合同センターのような組織が、全米の各所、少なくとも各州に一箇所は創設された。このセンターに世界各地から寄せられた情報は一箇所に集められ、分析された情報はFBIに渡される。これは、9.11後の新たな試みで、テロリズムに直接関係があろうとなかろうと、警察、郡保管局、法律施行に関する情報などを収集し、分析する機能を持つ。問題は「情報が曖昧である場合が多い」と言う。なぜなら「疑わしい行動」、例えば「中東人のような素性の人物が政府関連の建物やその近辺の公園にあるボートやフェリーを撮影しただけで報告される」からである。(続)

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