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エリザベス女王の死から四日目の今日(13日)、彼女の棺はスコットランドの首都エジンバラにある彼女の住居ホリールードからロンドンのバッキンガム・パレスに移送された。最後のお別れを告げるための驚異的な数の人々は、RAF ノーソルトにある飛行場近辺とバッキンガム・パレスおよびその近辺で驚異的なほど増加した。暗くなった通路で待っていた群衆が溢れる中で、女王の棺を搭載した低スピードで走行中の霊柩車は、午後8時3分にパレスの門前に到着し、車は2分後に建物の内側に入った。今後のスケジュールによると、葬式まで数日かかるようである。
当ブログが記録した13日のタイムライン(現地時間)は以下のように説明可能である。
7:00 pm — 棺を搭載した飛行機ロイアル・エアー・フォースはロンドン郊外にあるRAF ノーソルトの空港にちょうどロンドン時間の午後7時に到着した。CNNニュースは、エジンバラからバッキンガム・パレスへの移動は、故人エリザベス女王の最後の旅行になると伝えた。
7:08 pm — 棺は制服姿の兵士2人がそれぞれ前後でエスコートし、他左右4人ずつ、合計8人の兵士によって機内から陸上に運ばれた。ロイアル・エアー・フォースから約10メートルの距離に待機していた霊柩車に転送された。女王の一人娘であるアン王女は、母親の遺体がロンドンに戻る際に同行したロイヤル・ファミリーの一人である。エリザベス女王の遺体が霊柩車に運ばれるのを待っていたエリザベスに良く似たアン王女の姿はRAF ノーソルトの空港で確認された。
7:12 pm — その霊柩車は、空港内をゆっくり動き始め、恐らく50人以上の軍服姿の兵士らが並んでいる前を通って、飛行場の門に向かった。
7:15 pm —3人の警察官は、それぞれバイクを運転し、棺を乗せた霊柩車をエスコートし、他にロイヤル・ファミリーのメンバーを乗せていたと思われる6台の車が続いた。この6台目の車の後部に警察のパトロール車と三人のバイク上の警察官が配置され、彼らは前方と後部を保護していた。
7:19 pm — これら一連の車両は空港の門を出て、一般道路に入った。両側の通路には長い列の群衆らがこの瞬間を見送った。
8:00 pm — パレスの近辺に近づいた時、後部にいたバイク警察官らは、パレスの外側と周辺の安全性を確認するため、通常のスピードで、パレスに向かった。雨の中で、多数の群衆の姿が見られた。
8:03 pm — エリザベス女王の棺を乗せた霊柩車は、パレスの建物の外側に到着し、その2分後に建物のドナの内側に入った。この後、群衆らはゆっくりとパレスを離れ始めた。
気になるのは、葬式を含めて、エリザベス女王の死に関連する今後のスケジュールである。彼女が死亡した日、葬式までに10日かかると言われていた。彼女が死亡した後にチャールズは正式に英国および北アイルランド連合王国の君主となり、オーストラリアやカナダなどの英連邦諸国の元首になった。死亡の翌日(11日)チャールズはキングとして、公式声明を行った。女王の遺体は、スコットランドの首都エジンバラにある彼女の住居ホリールードに移された。三日目の12日にはエジンバラの聖ジャイルズ大聖堂で、王室のメンバーが出席した礼拝が行われた。
五日目の14日(水曜日)は、バッキンガム宮殿からウェストミンスター宮殿の最古の部分であるウェストミンスター・ ホールまで、棺は静かに移動される。週末は一般の人々が、お悔やみを行うことが可能である。これは、一般的に「敬意を払う」ことを意味する(ペイ・トリビュート:Pay tribute)と呼ばれる。エリザベスの遺体が置かれるウェストミンスター・ ホールでは、エリザベス女王に敬意を表する数千人が列に並ぶと予測されている。群衆はビクトリア・タワー・ガーデンズでの列に並ぶよう指示される。六日目の15日には、シンボリックな式典の一つである砲車の行進が行われ、一般市民は、木曜日に敬意を払うためにファイルを24時間以内に提出することができる。七日目の16日(金曜日)には棺を訪れ、敬意を表するため、この歴史的な瞬間に参加する機会を求めて、ロンドン中心部に膨大な数の人々が列に並ぶことが予想される。一方、チャールズ国王はバッキンガム宮殿で王室のメンバーと面会する予定である。八日目の17日、一般市民は引き続き、彼女の遺体に敬意を払うためウェストミンスター・ ホールにアクセスすることが可能である。九日目の18日(日曜日)は、女王の遺体がウェストミンスター・ ホールに安置される最後の日になる。英国民は、午後 8 時に 1 分間の黙祷を捧げるよう招待されている。
葬式はエリザベス女王の死の十日目に当たる19日(月曜日)に行われる。この日、世界のリーダーが招待されている。CNNによると、9 月 19日の朝、 英国全土で公休日が宣言され、女王が棺に横たわっている状態は終了する。棺は国葬のために再びウェストミンスター寺院に移動し、世界中の国家元首や要人が英国の首都に集まる。王室のメンバーに加わり、女王の生涯と国と連邦への揺るぎない奉仕を祝うことが期待されている。ゲストのリストはまだ発表されていないが、米国大統領のジョー・バイデンは葬儀に出席する予定である。
エリザベス女王が10日の土曜日に死亡して以来、彼女の人柄と歴史的貢献を伝える報道番組は現在も続いており、彼女がどれほど、愛され、親しまれ、尊敬されていたかを物語っている。女性の視点から見た時、もっとも顕著な変化は、二人の大衆的な女性がロイヤル・ファミリーのメンバーになったことである。チャールズ皇太子とプリンセス・ダイアナとの間に生まれた長男のウィリアム王子は上部中流家庭で育ったケイト・ミドルトンと結婚し、次男のハリー王子はカリフォルニア州ロスアンゼルスで生まれ育ち、演劇を勉強した白人と黒人の混血である大衆的なメーガン・マークルと結婚した。ハリー王子とメーガンは、王室生活を引退し、米国に移住すると決定した論争的な問題があったものの、英国王室の新世代の女性メンバーは大衆性を増加させた。総体的にエリザベス女王の死は、イギリス国民と英連邦の女王に対する信頼が絶対的なものであることを示唆している。そして、その信頼と称賛は、他の皇室のメンバーとは比較できないほと多大である事を示している。女王は、世界的に君主制が大衆の魅力を失っている時代に、英国君主制を継続的に安定化させた驚くべき影響力のある女性であった。エリザベス女王は1926年に生まれ、第二次世界大戦、朝鮮戦争、冷戦、アフガニスタン戦争など多くの戦争を見ている。彼女は1945 年に補助領土サービスに参加し、フルタイムの現役メンバーとして軍隊に参加した王室最初の女性であった。女王と軍隊との強い関係は、強く安定した国を維持するために重要な役割を果たしたと評価されている。