歴代大統領の珍しい話 : 第39代大統領ジェイムス・アール・カーター

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ジミーの愛称で呼ばれる第39代大統領ジェイムス・アール・カターは、ジョージア州でピーナツを生産する農家で生まれた。彼はアナポリスの海軍兵学校で原子力潜水艦の設計に携わった。1953年に彼の父が他界した時、自宅に戻り、父の農業経営を引き継いだが、彼はすぐに政治に関心を持ち始めた。カーターは就任中、ガソリンの価格が高騰した世界規模のエネルギー危機に直面した。イランでは米国の大使館に抗議者が押しかけ、1979年11月に約50人のアメリカ人外交官が人質にされるという事件が起きた。カーターは人質にされているアメリカ人を解放するため、24時間体制で働いたが、その努力に失敗した。440日以上が経過した後、カーターの大統領任期の最後の日に人質は釈放された。これは近代史の中で最も良く知られている事件の一つであるが、釈放のタイミングが遅すぎたことから、彼は再選に敗北した。しかし彼は2002年に、幅広い分野でたゆまぬ努力が評価されたノーベル平和賞を受賞した。

米国合衆国の第39代大統領:ジェイムス・E・ カーター

誕生と他界年:1924年10月1日 – 2024 年12月29日 

生誕地:ジョージア州プレーンズ

就任の時期:1977年–1月20日 – 1981年1月20日

副大統領:ウォルター・モンデール

政党:民主党

学歴:1947年に海軍兵学校で科学学士号卒業

有名な表現:”Wherever life takes us, there are always moments of wonder.”(人生のどこにでもいつも驚きの瞬間があります)The best way to enhance freedom in other lands is to demonstrate here that our democratic system is worthy of emulation.”(他の土地で、自由を強化する最善の方法は、我が国の民主主義制度が模倣に値することをここで実証することです)
“Our American values are not luxuries but necessities—not the salt in our bread, but the bread itself. Our common vision of a free and just society is our greatest source of cohesion at home and strength abroad—greater than the bounty of our material blessings.” (私たちのアメリカ人の価値観は贅沢品ではなく、必需品です。パンに入っている塩ではなく、パンそのものです。自由で公正な社会という私たちの共通のビジョンは、私たちの国内での団結と海外での強さの最大の源であり、物質的な豊かさよりも大きなものです)”We must adjust to changing times and still hold to unchanging principles.”(私たちは時代の変化に適応しつつも、変わらない原則を堅持しなければなりません)

珍しい話(1): カターは、病院で誕生した最初の大統領である。

珍しい話(2):カターは彼の家族および職員とホワイトハウスで夜のスピード読書クラスを開催した。

珍しい話(3):歴史家が「非常に知性があり、真面目で誠実な男性」であると稀に評価しているカーターは、国際紛争の平和的解決、民主主義と人権の推進、経済的および社会的発展に貢献したとしてノーベル平和賞を2002年に授与された三人目の米国大統領である。

珍しい話(4): カーターはホワイトハウスを去った後、ホームレスの人々の為に住宅建設に長年従事し、ハンマーと釘を手に持ち、自ら建築工事に参加した稀な元大統領である。

ジミー・カターは1941 年、ジョージア州ジョージア・サウス・ウェスタン大学で工学の学部課程の授業を開始し、翌年、彼はアトランタのジョージア工科大学に転校した。1943 年に海軍兵学校に入学し、そこで学士号を取得した。カーターは1947年に士官候補生821人中60位で理学士号を取得し卒業した優秀な学生であった。彼はその後、少尉に任命された。憲法センターの記録によると、カーターは家族の落花生農場を維持するため、軍人としてのキャリアを断念した。カーターは教育委員会の委員を務めたとき、親として地元の政治に関与するようになった。彼は公民権運動を支持したが、当時保守州のジョージア州では、政治的にマイナスであった。1966 年の知事選で、支持率が良くなかったため、カーターはより中道的なイメージを採用し、1970 年の選挙に勝利した。彼は在任中に予算削減者として知られるようになった。カーターはキャンプ・デイビスで重要な役割を果たしたが、議会やメディアとの関係でも苦労した。1980年10月、大統領選挙の対抗者ロナルド・レーガンのキャンペーンは、選挙が終わるまで、人質の解放を延期するようイランのリーダーと秘密の交渉があったとされる説もある。イラン人質事件は、カーターの敗北の重要な要因であったが、カーターは、1982 年にカーター・ センターを設立し、世界の人権と疾病予防の問題で積極的な役割を果たし、カーター夫妻は「人類の生息地」の宣伝にも協力した。

Photo credit : CNN 95歳当時、治療中も大工作業を続けるカーター

現在99歳のジミー・カーターは歴史上最年長の元大統領である。ガンと診断され、股関節の手術を受け、頭を14針縫った後も、カーターは家を建てるサービスを続けた。最近、彼の健康は衰えているため、約一ヶ月前からホスピスで医療ケアを受けていると報告されている。彼の99歳の誕生日は10月1日であったが、前日の土曜日に彼の誕生日を祝ったと報告されている。なぜなら、1日は政府閉鎖の危機により、アトランタにあるジミー・カーター大統領図書館・博物館は停電になる可能性があったためである。同日、カーターの故郷では、ジミー・カーター国立歴史公園のあるジョージア州プレーンズでも祝典が行われた。議会は9月30日に短期の継続予算法案を数時間前に通過したため、カーターの複数の施設が閉鎖されることはなかった。バイデン大統領は「ジミー・カーター大統領、あなたはこれからもアメリカ国民の精神であり、心であり続けます」とX(元ツイッター)に投稿した。

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