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第39代大統領ジミー・カーター夫人のエレノア・ロザリン・カーターは96歳で11月19日に亡くなられた。ファーストレディのロザリンはカーター大統領の任期中とその後も世界的な人道主義者及び精神健康の提唱者であり、ジミー・カーターの生涯のパートナーであった。歴史的に高齢である元大統領ジミー・カーターの妻であり1977 年から 1981 年までファーストレディであったロザリンが、どのような女性であったかを知ることは非常に重要であると考える。彼女は明らかに単なる伝統的なファーストレディではなかった。
カーター・センターの報告によると、ロザリン・カーター(96歳)は19日の日曜日午後2時10分 にジョージア州プレーンズの自宅で死去された。彼女は「家族に見守られながら安らかに息を引き取った」という。彼女は2002年にノーベル平和賞を受賞した現在99歳の元米国大統領ジミー・カーターと結婚後77年間の偉大なパートナーであった。カーター大統領は「ロザリンは、私がこれまで成し遂げてきたすべてにおいて、私の対等なパートナーでした。彼女は私が必要なときに賢明な指導と励ましを与えてくれました。ロザリンがこの世に存在する限り、私は誰かが私を愛し、サポートしてくれることを常に知っていました」と語った。彼女の4人の子供の一人であるチップ・カーターは「愛情深い母であり、並外れたファーストレディであることに加えて、母はそれ自体で素晴らしい人道主義者でもありました。彼女の奉仕と思いやりの生涯は、すべてのアメリカ人の模範でした。私たちの家族だけでなく、今日より良い精神健康の世話を受け、介護のための資源を利用できる多くの人々にとっても、彼女のことをとても惜しむことになるでしょう」と語った。
エレノア・ロザリン・カーターは1927 年 8 月 18 日にプレーンズで、アリーシア・マレー・スミスとウィルバーン・エドガー・スミス夫妻の間に生まれ、小さな町で育ち、家族との強い絆、教会や地域社会への献身的な環境の中で育った。彼女が 13 歳のとき、父親が死亡し、彼女の母は家族を助けるために洋裁職人になった。長女として、ロザリンは母親の傍で裁縫や家事、他の子供たちの世話を援助した。ロザリンは高校を卒業し、ジョージア州の サウスウェスタン大学に入学した。1945年、海軍兵学校を卒業したジミー・カーターと出会い、彼らは1946年に結婚した。ジミー・カーターは若い時に軍人であったため、数ヶ所に転勤する必要があり、カーター夫妻の4人の子供はバージニア、コネチカット、ハワイ、ジョージアとそれぞれ異なる州で生まれた。ロザリンは夫の父親が1953年に亡くなった時から、軍隊を退役し、プレーンズに戻って農業の家業を継いだ夫を支えた。ロザリンは夫のジミーが1962 年に政界に入った時、選挙キャンペーン陣営の重要なメンバーとして貢献し、ジミー・カーターはジョージア州上院議員の議席に勝利した。1970 年の知事選で、ロザリンは支持の拡大に努力し、ジョージア州知事選を勝利に導き、大統領選挙期間中、個人で米国中を旅行した。
カーター・センターの記録によると、元大統領夫人ロザリンは、精神健康の研究を含めて、多くの点で、活動的な提唱者であった。ロザリンは明らかに伝統的ファーストレディとは異なっていた。彼女は、ホワイトハウスでは、イースト・ウィング(東側の棟)に自身の事務所を持ち、そこから恵まれない人々の支援に取り組み始めた。彼女は、高齢者の年齢差別に異議を唱え、発達障害のある人々の機会を奨励し、女性の平等を前進させることに貢献した。彼女はカンボジアでの虐殺から逃れる難民の救援活動を組織化し、世界の注目を集めた。また、夫の代理として、自身の大胆な政策を掲げた活動家として、友好関係を促進するためにラテン・アメリカ諸国への画期的な訪問を実践した。
ジミー ・カーター元大統領夫妻は1982 年にジョージア州アトランタに民間の非営利機関であるカーター・センターを設立した。ロザリンは、そこで、精神健康、介護、幼児期の予防接種、人権、紛争解決の主要な擁護者として活躍した。彼女はセンターのすべての活動において、カーター大統領の完全なパートナーであり、カーター・センター理事会の創設メンバーであった。子どもたちを病気や死の可能性から守るために、彼女は学校に登録する際に予防接種を義務付けるよう精力的に取り込み、精神的健康状態に苦しむ人々の治療とサービスの改善に専念した。これは夫が知事だったときに掲げた重要な政策であり、それは彼女の残りの人生の優先課題であった。カーター夫人は、カーター政権時代に大統領精神健康委員会の名誉委員長となり、精神健康の推進力となった。その結果、精神健康制度法が採択された。カーター・センターの精神健康タスクフォースは、この分野で前向きな変化を促進する専門家、消費者、擁護者からなる諮問機関である。彼女は32 年間にわたり年次シンポジウムを通して全国の精神保健組織の指導者を集め、重要な問題に取り組み、治療とサービスを改善するための政策変更を追求していた。
また、女性の権利と平等権利修正条項の批准の熱心な擁護者である彼女は、合衆国憲法制定200周年を祝うため、他の3人の元ファーストレディとともに1988年にカーター・センターで「女性と憲法」会議を招集し、女性に多大な影響を与えた。彼女は、1991 年から 1999 年まで、都市全体の貧困と生活の質に関連する社会的悪に取り組むカーター ・センターのアトランタ・プロジェクトの政策諮問委員会に奉仕した。また、1991年にアメリカでの麻疹の流行に対応して、彼女はアーカンソー州の元米国上院議員デイル・バンパーズの妻ベティ・バンパーズ夫人とともに、子供たちを麻疹から守るための全国的なキャンペーンで、すべての子供にワクチンを接種する運動を推進し、タイムリーな乳児予防接種の重要性についての認識を高めることに貢献した。カーター夫人は、彼女が「より思いやりのある社会」と呼ぶ目的のために「精力的」に働いた。
ロザリン・カーター夫人は全米精神保健協会からのボランティア・オブ・ザ・ディケイド賞、米国女性団体からの平等権利改正の支持に対する功労賞、国際貢献に対するノートルダム賞、エレノア・ルーズベルト・リビング・ワールド賞、アメリカ公共サービス協会からジェファーソン賞、ジョージア州女性委員会からジョージア・ウーマン・オブ・ザ・イヤー賞、米国医学アカデミーより精神健康国際賞、米国文民最高の栄誉である大統領自由勲章、その他複数のメダルなど、多くの栄誉を受賞している。また、1984年に出版された自伝「平原のファースト・レディ」を含めて5冊の書籍を執筆した。彼女は、2023年11月19日に死亡するまで、世界中の平和と人権を促進するためにアトランタのカーター・センターの副会長を務めていた。現在、同センターは精神疾患に対する偏見を軽減し、精神医療へのアクセスを促進するプログラムを主導している。また、元大統領ジミー・カーターは、約 60 か国以上の紛争解決、人権促進、世界保健の改善、民主主義の構築を目的としたプロジェクトで、ロザリンは偉大なパートナーであった。

2016年8月22日 Photo credit : The Commercial Appeal
伝統的にファーストレディの主な仕事は、大統領の来賓のホステス役を務めるなどの儀式的な義務である。また、ファーストレディの補佐官と共に、クリスマスのデコレーション、ホワイトハウスのカーテンや家具などの装飾やキッチン用品およびその他の備品を監督することなどである。ロザリンほど、広範な分野で貢献したファーストレディは少ないが、政治的に影響力があったファースト・レディも幾人か存在する。例えば、1809年 から1817年まで第4代大統領ジェームズ・マディソンの妻ドリー・マディソンと、1933年から1945年に亡くなるまで第32代アメリカ合衆国大統領を務めた身体障害のあった民主党大統領フランクリン・ルーズベルト夫人のエレノア・ルーズベルトは顕著である。歴史的記録から考慮した場合、恐らく、エレノア・ロザリン・カーターは最も精力的に活動し、世界平和に貢献した大統領夫人であった。最後のカーター夫妻の偉大な貢献は、ホームレスを含めて、住宅に恵まれていなかった地元地域の人々のための住宅建設である。カーター夫妻は1976年にカーターの故郷であるジョージア州プレーンズからほど近い場所にボランティアによる19戸の建物の改修を支援し、後にカーター大統領は年次プロジェクトを開始した。2013年10月、第30回年次プロジェクトの一部として、カーター夫妻はその建物を訪問し、そこに住む家族と面会した。大統領退職後に、住宅の建設で自ら実際にハンマーと釘を手にするような例は他にはないが、ロザリンは夫のジミー・カーター元大統領と共に同じ活動にも参加した。彼女は多くの点で多くの女性の心の中に生き続けると願っている。