歴代大統領の珍しい話 :米国第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ

Photo credit : CNBC

米国第41代大統領ジョージ・ハーバート(H)・ウォーカー(W)・ブッシュは、1924年6月12日にマサチューセッツ州ミルトンに生まれ、公職の伝統がある家庭環境で育った。彼の父プレスコット・シェルダン・ブッシュはコネチカットからの米国上院議員であった。ブッシュは、父と同様に米国社会に貢献する責任感があり、軍隊でもリーダーシップが備わっていた。第二次世界大戦中1942 年から 1945 年まで海軍に勤務し、1943 年 7 月、彼は海軍の最年少パイロットになった。爆撃機のパイロットとして太平洋上で任務を遂行中、日本軍の対空砲火で撃墜され、海中から米潜水艦に救出されたという経験がある。しかし、彼は1942年フィリップス・アカデミーを卒業した後にイェール大学に入学し、スポーツと学問のいずれにも優秀な学生であった。エリート階層の出身であると見られている彼は卒業後、テキサスの石油産業でキャリアを積み成功した。

米国合衆国の第41大統領:ジョージ・ハーバート(H)・ウォーカー(W)・ブッシュ

誕生と他界年:1924年6月12日 – 2018年11月30日 

生誕地:マサチューセッツ州ミルトン

就任の時期:1989年1月20日 – 1993年1月20日

副大統領:ダンフォース(ダン)・クエール

政党:共和党

学歴: 1968年5月イェール大学卒業 

有名な表現:”If anyone tells you that America’s best days are behind her, they’re looking the wrong way.”(もし誰かがアメリカの最良の時代は過ぎ去ったと言ったなら、彼らは間違った方向を見ています)
“The United States is the best and fairest and most decent nation on the face of the earth.”     (米国は地球上で最も優れ、最も公正で、最も敬意に値する国です)                “I want a kinder, gentler nation.” (私はもっと親切でさらに優しい国を望んでいます)     ”Don’t try to fine-tune somebody else’s view.” (他人の見方を微調整しようとしないでください)

珍しい話(1): ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ大統領はイェール大学チームで一塁手としてプレーした。 彼のチームはカレッジ・ワールド・シリーズの決勝に2回進出したが、2回とも勝利しなかった。

珍しい話(2):ジョージ H・W・ブッシュとその息子ジョージ・W・ブッシュは、アメリカ合衆国大統領に就任した2人目の親子である。 ジョン・アダムズとジョン・クインシー・アダムズは最初の親子であった。

珍しい話(3):ブッシュ大統領は1837年以来、現職副大統領から初めて大統領に昇格した大統領である。

ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は4年間の就任中、上院および下院のいずれも民主党が支配していたため、政策を促進するためには議会と交渉する必要があったが、現在の議会とは政治環境が異なるため、近年の議会とは異なりさほど困難な時代ではなかった。とは言え、公職者としての資格や気質を十分に備えていた彼は1967年1月から1971年1月までテキサス7区を代表した下院議員であり、1971年3月から1973年1月まで米国国連大使であった。さらに、1973年1月から1974年9月まで共和党全国委員会の委員長であり、1974年9月から1975年12月まで、中華人民共和国の米国連絡事務所長として駐在した。1976年1月から1977年1月まで、CIAのディレクターであり、1981年1月から1989年1月までロナルド・レーガン政権下で副大統領であった。

この経歴から、歴史家はジョージ・H・W・ブッシュが戦後、国内外の政治的認識と経験も含めて、最も大統領として相応しい人物の一人であったと評価している。しかし、彼は景気後退に直面していたため、彼の経済政策に満足していなかったアメリカの有権者を納得させることができず、再選に成功しなかった。景気後退は大統領の能力を超えた問題であるにもかかわらず、歴史的に有権者は経済が落ち込んでいる時の大統領を再選しない傾向がある。ジョージ・H・W・ブッシュの外交政策の最大の功績は、イラクの大統領サダム・フセインがクウェートに侵攻し、その後サウジアラビアへの侵攻を脅した時に、国連、議会、米国民を結集させ、約430,000人の米軍を派遣し、同盟国の約120,000人の軍隊が参加した。数週間にわたる空爆とミサイル爆撃後に、大規模な数のイラク軍は敗走した。しかし、多くのアメリカ人は戦争が伴う彼の国外政策には、それほど関心を示さなかった。国内政策で成功した目立った分野は大気浄化法の改正である。この時代から、アメリカの人々は大気汚染に深い懸念を示したため、大幅に支持された。加えて、彼の顕著なリーダーシップは、地域社会を活性化するため、全米でボランティア活動への参加を提唱し、善行運動の組織化を支援したことである。それは彼が「私はもっと親切でさらに優しい国を望んでいます」と述べたことに一貫性がある。

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