言論の自由に挑戦した著名な歴代大統領は、生誕年の古い順からジョン・アダムス、エイブラハム・リンカーン、ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルト、リチャード・ニクソンが挙げられる。これら5人の大統領は、戦争による時代背景による必然性、または戦時措置のため、軍事情報漏れを防ぐため、大統領に対する反対党の卑劣な陰謀論や非難に対抗するため、政権を批判するジャーナリズムに対抗するためなど、様々な理由により報道および言論の自由を制限した。一部の大統領下で、虚偽や批判は犯罪化され逮捕される人々も続出した。ある時代には、米国最高裁判所は大統領の政策を支持した。
ジョン・アダムス(1797年から1801年)
ジョン・アダムス大統領はアメリカが大国間の紛争に巻き込まれないようにするため1798年、フランスとの戦争の最中、外国人治安法に署名した。一方、この治安法は、政府または大統領に対する虚偽、中傷的、悪意のある記述を犯罪とし、報道及び言論の自由に対する直接的な戦略として利用された。しかし、この法律は1801年に失効し、トーマス・ジェファーソンが大統領に選出された。この選挙結果は、外国人治安法のような法律が全国的に拒絶された為であると主張する歴史家もいる。1790 年代初頭にトーマス・ジェファーソンとジェイムス・マディソンは民主共和党を設立した。この法律は、対立する民主共和党を支持する新聞編集者や政敵を起訴・投獄するために利用された。連邦党の指導者であったアダムスは悪意のある攻撃の対象となり、民主共和党支持の新聞やパンフレットなどで、君主主義者であり共和制政府の敵として描写された。アダムスは身長が低く、声が甲高いことから、男性的ではなく、両性具有者だと揶揄されるなど、彼の大統領職は悲惨に満ちていた。
エイブラハム・リンカーン(1809–1865)
エイブラハム・リンカーンは南北戦争中、アメリカ史において最も尊敬される人物の一人であるが、大統領歴史家は、リンカーンの公民権に関する実績を批判することがある。南北戦争中、リンカーンは憲法修正第1条に定められた報道の自由や言論の自由を含む公民権を制限した。リンカーン大統領は連邦維持のために必要だと主張し、市民の自由を制限するための広範な措置を講じた。彼は電信回線の検閲を命じ、人身保護令状の権利を停止し、政権を批判した新聞編集者を逮捕し、事務所を閉鎖した。反戦演説を行った下院議員が逮捕され、追放されたという例もある。
ウッドロウ・ウィルソン(1856-1924)
ウッドロウ・ウィルソン大統領は、20世紀における最も影響力のある大統領の一人であり、1913年から1921年まで大統領を務めたこの期間に第一次世界大戦に遭遇した。ウィルソン大統領の推進により、議会は軍や徴兵活動への妨害を目的としたスパイ活動法を1917年に制定した。議会は翌年、更に厳しい扇動法を可決した。扇動法は、米国政府、軍、または国旗に関する「不忠、冒涜、悪意のある、または侮辱的な言語」を犯罪として定めている。これらの法律に基づき、数千人が起訴された。ウィルソンは戦時措置として言論の自由の制限を推進し、当時の最高裁判所は言論と出版の自由の制限を戦時措置として必要だと認めた。ウィルソンは性別による差別を禁じた合衆国憲法修正第19条の適用を渋々支持したが、政府機関における人種差別を容認した。
フランクリン・ルーズベルト(1882年 – 1945年)
フランクリン・ルーズベルト大統領は、米国史上最も長く在任した大統領であり、最も影響力のある大統領の一人であった。ルーズベルト大統領の最も重要な外交政策はナチズムとファシズムの影響からアメリカの自由世界を保護することであった。ルーズベルトは、1941年の演説で4つの基本的自由を明示した。言論と表現の自由、神を崇拝する自由、欠乏からの自由、そして恐怖からの自由である。そのうち最初の2つは憲法修正第1条に明記されている。しかし、真珠湾攻撃後、ルーズベルト大統領は第二次世界大戦中に検閲局を設立し、軍事情報を保護するため、国に出入りする通信を検閲することに努力した。政府は主に報道機関の自発的な協力に依存していたが、ルーズベルト大統領の健康状態や1944年の再選キャンペーン中の動向といった情報を検閲によって秘密にしていたとの説もある。
リチャード・ニクソン(1913~1994年)
アメリカ合衆国第37代大統領リチャード・ニクソンニクソンは1969年1月20日から1974年8月9日までの就任期間中、公民権運動の激動、ベトナム戦争反対運動、そしてウォーターゲート・スキャンダルによる行政の不正行為と捜査が続いた混沌の共和党大統領であった。激動期のリチャード・ニクソンの行動は、言論の自由、報道の自由、そして政治的結社の自由を脅かすほどの行政による職権の濫用が目立っていた。ニクソン政権は繰り返し、政敵を弱体化させ、批判的なメディアを弾圧しようとした。ニューヨーク・タイムス紙が1971年に機密文書として知られるペンタゴン・ペーパーズを公表し始めた際、ニクソン政権は公表差し止めを求めて米国最高裁に提訴した。最高裁は最終的に、政府の事前抑制の試みを却下した。ウォーターゲート事件でニクソン政権は、盗聴や政治スパイ活動、政敵に対する信用を失墜させ、報道の自由を封じ込めるなどの違法行為によるスキャンダルに満ちていた。その後、ジャーナリストのボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインによるこれらの不正行為の調査と暴露によって、最終的にニクソンは辞任する結果となった。
最後に、どれほど長い年月が経過しても、大統領のレガシーは肯定的及び否定的な両方の側面から、歴史家によって語り継がれる傾向がある。ジョン・アダムスの最善のレガシーはアメリカの独立の積極的な立役者であったことであり、最悪の政策は外国人治安法に署名したことである。エイブラハム・リーカーンは、報道や言論の自由の制限を強化したため、当時は批判された大統領であったが、近年、リーカーンを悪く評価する歴史家は少ない。ウッドロウ・ウィルソンは、彼が民主党大統領であったことから、人種差別者であったとの批判は現在も語られている。その一方で、冷静、知性、威厳のある大統領であり、非常に進歩的な政策及び改革を推進したことで知られている。フランクリン・ルーズベルトは、30代の後半から麻痺性疾患に罹患し、車椅子を利用する必要があった身体障害のある大統領であったが、驚くほど精神的に強い大統領として評価されている。最も評価の悪いレガシーは道徳的な汚点として、重大な公民権侵害として、西海岸の約12万人の日系アメリカ人を強制的にインターンメント・キャンプに収容することを承認したことである。その一方で、第二次世界大戦当時、この措置は支持されていたとの世論もある。ウォータゲート事件に関与したリチャード・ニクソンの恥は、ほとんどアメリカ人が忘れていないと言われている。