
大統領就任式 2009年1月20日:Photo credit : CNN
今日から17年前の2008年11月4日は、白人と黒人の混血である米国初のアフリカ系アメリカ人が大統領に選出された日である。バラク・オバマはイリノイ州を代表する米国上院議員であった。知性とユーモア、勤勉性、カリスマ性があるとされ、若く好感度の高かったオバマ氏は、キャンペーン当時、幅広い層の有権者に人気があり、高い支持率で、地滑り的な勝利を果たした。この時の共和党の対抗者は、穏健派の誠実な上院共和党議員ジョン・マケインであった。マケインの敗北の一員は、副大統領の選択に問題があるとの意見もあった。
第44代大統領バラク・オバマ(1961年8月4日誕生)が勝利したことで、米国はもはや人種差別はほとんどなくなったと言う批評家もいたが、彼が大統領選に立候補した直後にオバマのキャンペーンは、ティーパーティと名乗る保守派運動による卑劣な攻撃に直面した。彼らは、初のアフリカ系アメリカ人が大統領に選出されることを阻止するため、あらゆる人種差別的レトリックや虚偽を浴びせた。その主な虚偽は、オバマは米国生まれではないとして、アフリカに戻れというような悪質な反オバマ運動に基づいていた。しかし、オバマの幸運は、米国初の白人と黒人混血の大統領が2008年11月4日に選出された歴史的意義である。2009年1月20日に就任したオバマ大統領は、当時上院議会多数派の共和党リーダーであったミッチ・マコーネルによる様々な攻撃に直面した。それは、オバマを一期のみ(4年間)の大統領にすると宣言し、彼の政策の投票阻止から米国最高裁への指名者の認可をブロックすることに至るまで、マコーネルは当時人種差別主義者で党派的であるような印象を与えていた。
しかし、オバマ大統領が就任した時には、2006年と2008年に民主党は両院で多数派を占めていた。さらに2009年の総選挙では、上院議会の民主党は、彼らに参加する二名の無所属議員を含めて60議席の超多数派となった。下院議会の民主党は確実な多数派を維持していたが、2010年11月の中間選挙で共和党が多数派を獲得した。米国議会は1960年代以来、制定することができなかった医療保険法をオバマ大統領が、両院で多数派であった2010年1月に署名することを可能にした。しかし、この法律が可決した直後から、第一期のトランプ政権最後の年まで、共和党は少なくとも70回以上の撤廃投票を行ったが、今日に至るまで成功していない。現在アフォーダブル・ケア・アクト又は ACA(通称オバマケア)として、数千万人の米国人が利用している。
バラック・オバマは1961年にハワイ州ホノルル生まれ1983年にコロンビア大学で政治学の学士号を取得した。その後シカゴで地域社会の組織家として活動し、1988年にハーバード大学法学部に入学し、ハーバード・法律レビュー誌の初の黒人会長を務めた。その後、公民権弁護士および学者として活動し、1992年から2004年までシカゴ大学法学部で憲法の教授であった。1997年から2004年までイリノイ州の州上院議員を務め、2005年から2008年までイリノイ州を代表する米国上院議員であった。2009年1月から2017年1月までアフリカ系アメリカ人初の第44代民主党大統領を務めた。
オバマ大統領が2009年1月20日に就任した時には、米国は財政緊急危機に直面しており、最初の任期中、2008年に始まった金融危機に対応し、大不況からの経済回復を導くための大規模な景気刺激策である2009年アメリカ復興・再投資法、ブッシュ減税の一部延長、医療制度改革法、そして金融規制改革法案であるドッド・フランク法などの施策を講じた。オバマ大統領は国際外交への尽力により2009年にノーベル平和賞を受賞したが、この受賞を称賛する人もいれば、一部の共和党は批判した。オバマ大統領は8年間の任期中に、初のヒスパニック系アメリカ人であるソニア・ソトマイヨァとエレナ・ケーガンを最高裁判事に任命した。
オバマ大統領の顕著な外交政策の成功はイラク戦争の終結を指揮し、2001年9月11日の同時多発テロの主犯と見られたオサマ・ビン・ラディンの隠れ家を発見し、特殊部隊を派遣し、捕獲と殺害に成功したことである。2011年には国連安全保障理事会決議で支持されたリビアへの軍事介入を命じ、ムアンマル・カダフィ政権の打倒に貢献した。重要なグローバル課題である環境とエネルギー政策では、オバマ大統領は、環境保護庁(EPA)が制定した規制に基づき、既存の発電所に対する初の炭素排出基準を定め、2030年までに2005年比で排出量を32%削減することを目標として設定した。また、世界的な炭素排出量の削減を目指すこの地球規模の気候変動パリ協定に米国を参加させた。オバマ政権は、消費者の節約と温室効果ガス排出量の削減を目的として、自動車の燃費基準を厳格化した。
最後に、両院で多数派を占める共和党リーダー達は、9月30日に期限切れとなったオバマケアまたはアフォーダブル・ケア・アクト(ACA)と呼ばれる医療保険制度に助成金を提供しなかったため、民主党は継続予算法案に投票しなかった。10月1日にトランプ政権の政府は一部を除き閉鎖した。来年から医療費が大幅に高騰すると予測されている中で、10月18日に現政権の政策に反対するNO KING(王はいない)のプロテストが全米50州の2,600以上の都市および地域で開催された。この全米での大規模なプロテスに圧倒された下院共和党議員らは、医療保険に関する協議を始めると述べたことが19日に報告された。しかし、その後何の進展も見られない状況が続いている。オバマ大統領が推進したACAは、驚異的な波乱を乗り越えて、米国の主な医療保険として盤石な政府のプログラムとなっている。これは最も重要なバラク・オバマのレガシーである。その他、全米で同性婚を合法化する措置、LGBTQに対する権利拡大、公然と軍務に就く権利など、少数派の人々を保護するなど、平等の推進に努めたことでも知られている。そして、ご承知のように、民主主義を保護するため、選挙での候補者の支援も含めて、必要に応じた政治的活動を続けている。