ジョージ・ワシントンは革命の天才的指導者だった

Photo credit : National Geographic

12月14日は1799年に米国の初代大統領ジョージ・ワシントンが死去した日である。一般的に、歴史家はワシントンがアメリカ独立革命の天才的指導者であったと評価している。どのような点で、革命の指導者と言えるのだろうか?歴史家は、ジョージ・ワシントンほど、指導者としての優れた資質を備えたリーダーは他にはおらず、その天才的才能は学歴とは無関係であることを証明していると示唆している。

初代大統領ジョージ・ワシントンは1732年2月22日にバージニア州ウェストモアランド郡にある農地を保持する家庭に生まれた。治安判事であった父のボール・ワシントンが1743年に亡くなった時、ワシントンはフレデリックスバーグ近郊に農場がある父の遺産の一部を相続した。ワシントンは学校に通うことはなかったが、農業に専念するだけでなく、数学と測量において盤石な教育を受けた。1748年に測量士として働き始め、多数の探検を成功させた。成人になった時には既に教養のある若者として、幅広い人脈があり、裕福な地主となった。この時代には白人であることと地主であることが投票の条件であった。しかし、ワシントンは裕福な人々との社交よりも、農業に専念していた。そして、軍隊に入隊し1752年には、バージニア民兵隊の士官に任命された。

ワシントンはフランス軍と初期に衝突したため、1754年フレンチ・インディアン戦争が勃発した。北アメリカにおける覇権をめぐるイギリスとフランスの激しい対立、毛皮貿易とオハイオ川流域を含む資源支配をめぐる競争、植民地拡大と先住民との同盟関係を巻き込む全面的な戦争へと発展した。フレンチ・インディアン戦争は9年間続き、さらに、1775年4月にマサチューセッツ州レキシントンとコンコードで独立戦争の最初の戦闘が起こった。その後まもなく、大陸会議はイギリス軍と戦うために軍隊を創設することを採決し、ジョージ・ワシントンを新大陸軍の最高司令官に任命した。そのような重大な任命の理由の一つは、ワシントンがフレンチ・インディアン戦争(1754年~1763年)で大佐として軍事経験を積んでいたことである。そして別の理由は、ワシントンがニューイングランド出身者で大部分を占めていた影響力のある広大な植民地バージニア出身であったため、軍隊の指揮官として、植民地間の戦争遂行における団結を強化できると評価されていたためである。これらの理由により、議会は革命の指導者として、ジョージ・ワシントンが適切であると判断した。

歴史家は事実、ジョージ・ワシントンがリーダーシップの天才であったと評価している。ワシンントン・ペーパーズの歴史著者であるリチャード・スタゼスキーによると、ワシントンは、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムス、トーマス・ジェファーソン、パトリック・ヘンリー、アレクサンダー・ハミルトン、ジェイムス・マディソンなど、ワシントンよりも遥かに優れた教育を受けた多くの優秀な哲学者、思想家、作家、弁論家たちと共に活動していた。しかし、「建国における3つの重要な局面、すなわち独立革命、憲法制定会議、そして初代大統領選出」の全てにおいて、指導者として選ばれた人物はジョージ・ワシントンであった。また、「同時代の人々や後世の評論家たちは、彼がこれら3つの戦略的に重要な地位に選ばれた理由として、多くの要因を挙げている」という。

例えば、「体格と威厳、カリスマ性、エネルギー、多岐にわたる経験、勇気、人格、気質、バージニア州出身であること、富、野心、揺るぎない愛国者としての評判、そして特に独立革命後には、社会のあらゆる階層の人々からの尊敬、賞賛、そして愛情などが挙げられます。最高の指導者として彼が台頭した最もよく挙げられる理由は、その人格です。私が知る限り、最も挙げられることが少ないのは、彼の知性と思想です。ワシントンがこれらの指導的役割に選ばれたのは、その人格と、指導者としての才能、すなわち天才的な能力によるものだと思います。人々は彼が崇高で清廉潔白な人格を示し、また並外れた指導者であることを証明したからこそ、彼を信頼したのです」と述べている。更にスタゼスキーは、大陸軍総司令官、憲法制定会議議長、そして米国初代大統領として、ジョージ・ワシントンは「先見の明」と「ビジョンと現状の行動との整合性を保つ」ことができる天才的指導者であると述べている。

要するに、ジョージ・ワシントンは、ハミルトンやマディソンのようにフェデラリスト(連邦主義者を意味し、権力が連邦政府と州政府および地方政府に分割されているシステムを支持する個人)として、大統領に就任する前、軍隊に入隊し、軍事の経験が豊かであった。67歳で死亡する前のワシントンは、自身について、農夫に過ぎないと謙遜していたと言われているが、軍隊で鍛えられたワシントンは、多くの人々を魅了する資質があったという。さらに20歳の時には幅広い人脈があり、教養もあったワシントンはイギリスに対して独立戦争を始めるためには植民地のリーダーとしての器量のある人物が求められていた時に、最も相応しい指揮官であったということである。学歴のないワシントンは、遥かに高い学歴のある他の建国の父らと交流することで、彼らから学んだため、彼らとの交流は多大な利益があったと主張する歴史家や批評家もいるが、スタゼスキーはその説を否定し、ワシントンは独立革命の真の指導者として天才であると強く信じていることを示した。

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