歴代大統領の珍しい話 : 第20代米大統領ジェームスA・ガーフィールド

By World History

以前の幾人かの大統領も丸太小屋で生まれたが、第20代米大統領ジェームスA・ガーフィールドは、米国の大統領の中で最も貧困な少年時代を過ごした。オハイオ州カイヤホガ郡で生まれたガーフィールドは2歳の時に父が死亡した為、彼の母は生計に葛藤した。彼は17歳の時、彼自身の教育費を支払うため、運河ボートで働き、最終的にウィリアムズ大学を卒業した。彼は内戦での将軍であり、6 フィート(約182 cm)の背の高い大統領であり、ホワイトハウスに就任した後、彼の小さい母を抱えながら階段の上り下りを援助した。正直な大統領であった彼は「人生で多くの問題を抱えてきたが、最悪の事態は決してなかった」と言った。就任わずか6ヶ月後、リンカーンに次いで銃弾で暗殺された二人目の大統領となった。彼の死は何を示唆しているだろうか?

米国合衆国の第20大統領:ジェームスA・ガーフィールド

誕生と他界年:1831年11月19日 – 1881年9月19日 

生誕地:オハイオ州カイヤホガ郡

就任の時期:1881年3月4日 – 1881年9月19日 

副大統領:チェスターA・アーサー

政党:共和党

学歴:1856年8月にウィリアムズ大学を卒業

有名な表現:Under our institutions there was no middle ground for the negro race between slavery and equal citizenship. There can be no permanent disfranchised peasantry in the United States.

(私たちの制度下では、奴隷制と平等な市民権の間で黒人の人種への妥協点はありませんでした。米国では農民が恒久的な権利を剥奪されることはありえません。1881年 3月4日の就任スピーチの一部)

“I have had many troubles in my life, but the worst of them never came.”
(私は人生で多くの問題を抱えてきましたが、最悪の事態は決して起こりませんでした。)

“We can’t overestimate the fervent love of liberty, the intelligent courage, and the sum of common sense with which our fathers made the great experiment of self-government.”

(私たちは、自由への熱烈な愛情、知的な勇気、そして私たちの建国の父が自治の偉大な実験を行った常識の全てを過大評価することはできません。)


珍しい話(1): ジェームスA・ガーフィールド大統領は最初の左利きの大統領であった。

珍しい話(2):彼は就任から僅か4ヶ月後、駅を歩いていた大統領の後部に銃を持って近づいた狂った男性に二回銃撃された。最初の銃弾は腕をかすっただけであり、二つ目の弾丸は彼の背中を突き通って膵臓の後ろに留まった。医者は弾丸を取り出すことができなかった。数ヶ月間の苦悶の手術と感染により、ガーフィールドは死亡した。彼は米史上、暗殺された二人目の大統領となり、暗殺者は絞首刑に処された。

珍しい話(3):この当時レントゲンの技術は開発されていなかったので、複数の医師らは銃弾を発見することはできなかった。これは、弾丸を発見するためにアレキサンダー・グラハム・ベルがメタル検波機を発明するきっかけとなった。しかし、それは成功しなかった。なぜなら、メタル検波機はガーフィールドの体内のメタルには反応せず、ベッドの中のメタルに反応したためであるという説がある。メタルには複数の材質があり、メタル検波機は、弾丸に利用されたメタルの類を検波しなかったことを示唆した。これは更なる科学技術の研究につながったことは言うまでもない。

わずか約200日間の大統領であったガーフィールドの暗殺について記述しているミラー・センターによると、暗殺者は当時39歳のチャールス・ギトーであり、彼が使用した銃は、0.44ブリティッシュ・ブルドッグである。1881年7月2日午前9時20分に、ワシントンDCのボルチモア&ポトマック駅で国務長官ジェームス・ブレインと一緒に歩いていたガーフィールド大統領は後部から銃撃された。ギトーは、大統領が彼をヨーロッパの執政官に任命することを拒否した為、ガーフィールドを殺す計画中の数週間、ガーフィールドにつきまとっていた。この日、大統領は2人の息子を彼の母校に紹介することを計画しており、ウィリアムズ大学に向けて出発する準備をしていた。医師たちは大統領の膵臓に留まっていた弾丸を除去できなかったため、ガーフィールド大統領は、ニュージャージー海岸の村(彼の妻がマラリアに疾患した場所)にあるエルブロンの病室で敗血症と合併症で1881年9月19日に死亡した。ワシントン周辺で「感情的に混乱した男」として知られていたギトーは、 ガーフィールドが亡くなった日、副大統領であったチェスターA・アーサーに手紙を書き、彼の行動は暗殺ではなく、ガーフィールドが「責任を負った政治的必要性から生じた」と主張し、「決して、ガーフィールドの除去を殺人として考えない」と述べた。陪審員は1時間の審議で有罪判決を決定した。1882年6月30日に絞首刑台の足場を登った彼は「神の働きをしたと確信」した。狂ったギトーはガーフィールド大統領に対する恨みを宗教的理由に変えることで殺人を正当化した。

今日、キリスト教に限らず、宗教信者は、一般的に「神の働き」、「神の思し召」、「神の決定」というような表現を使うことがある。論争的な大統領であったドナルド・トランプの支持者の一部は、ソーシャル・メディアで2016年後半に拡大した陰謀説を信じていた。それは、トランプの強敵であったヒラリー・クリントンも含めて、民主党指導層の人々は、ワシントンDCのピザ・レストラン「コメット・ピンポン」の地下で、子供たちの人身売買および小児性愛の犯罪組織を運営しているという馬鹿げた陰謀説であった。自己調査を決意し、銃を持参し、そのレストランに現れた28歳の男性は、レストラン内で銃を砲発した後に逮捕された。これとは別に、トランプの不正選挙の陰謀論が議事堂での反乱に高じたことについて、トランプの司法長官ウィリアム・バァーは、非公式の証言で「狂っている」と発言したように、異常な行動の動機が「神の働き」であると主張する狂信的な陰謀論は、結果的に暴力も厭わないという側面がある事を示唆している。奥深に潜むエゴと心理に導かれる類の陰謀論は、ある意味ではスケールと方法に関係なく、過激な行動につながる危険性が潜んでいることを示唆している。悲しいかな、ガーフィールドの死から140年以上が経過した現在もその傾向はほとんど変わっていないことを示唆している。

アメリカ・ウオッチ- Yuko's Blogをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む