歴代大統領の珍しい話 :第33代大統領ハリー・S・トルーマン

Photo credit : Miller Center

米国合衆国の第33代大統領:ハリー・S・トルーマンは、1934 年にミズリー州からアメリカ合衆国上院議員に選出された。1940 年から 1944 年にかけて、トルーマン委員会の委員長として全国的に知られるようになった。トルーマン委員会は、戦時中の契約における無駄と非効率を減らすことを目的としていた。トルーマンは 1944 年に副大統領に選出され、フランクリン D. ルーズベルト大統領の死後、大統領に就任した。トルーマンは、副大統領に就任してわずか三ヶ月後に大統領に就任するまで、進行中のマンハッタン・プロジェクトについて知らされていなかった。

米国合衆国の第33代大統領:ハリー・S・トルーマン

誕生と他界年:1884年5月8日 – 1972年12月26日 

生誕地:ミズリー州ラマー

就任の時期:1945年4月12日 – 1953年1月20日 

副大統領:アルベンW・バークレー (1949–1953)

政党:民主党

学歴:カンザスシティのビジネス・スクールであるスポルディングズ・コマーシャル・カレッジに入学したが、1年後に中退した。

有名な表現:”You can’t  stop the spread of an idea by passing a law against it.”(着想に反対する法律を可決しても、考えの拡散を止めることはできません。)  

“We need not fear the expression of ideas—we do need to fear their suppression.”(理念の表現を恐れる必要はありません。その抑圧を恐れる必要はあります。)

“A pessimist is one who makes difficulties of his opportunities and an optimist is one who makes opportunities of his difficulties.”(悲観主義者は機会を困難にする人であり、楽観主義者は困難を機会にする人である。)

  “The best way to give advice to your children is to find out what they want and then advise them to do it.” (貴方の子供達にアドバイスする最善の方法は、彼らが何を望んでいるかを知ることであり、それをするようにアドバイスすることです。)

珍しい話(1): トルーマンと彼の妻ベス・トルーマンは1901年にミズリー州の独立系高校を卒業した。米国大統領とファースト・レディが同じ高校を卒業したのはトルーマン夫妻のみである。

珍しい話(2):トルーマンは14歳までに、彼の学校の図書館にある全ての本を読んだと述べた。

珍しい話(3):トルーマンは弁護士の経験はないが、1922 年にジャクソン郡裁判所の 3 人の裁判官の 1 人として選出された。トルーマン判事は、実際には司法ではなく行政を任務としており、郡政の管理における誠実さと効率性で評判を築いた。1924 年の再選では落選したが、1926 年にはジャクソン郡裁判所の裁判長に当選し、1930 年に再選された。

1944 年 7 月、トルーマンはルーズベルト大統領と共に副大統領に立候補するよう指名された。1945 年 1 月 20 日、彼は副大統領の宣誓を行い、ルーズベルト大統領の予期せぬ死からわずか 82 日後の 1945 年 4 月 12 日、彼は米国の第 33 代大統領に就任した。また、トルーマンは歴代の大統領の中で、最も困難な決定に直面した大統領の一人である。米国の科学者が、世界で類を見ない新たなタイプの爆弾を発明した時、彼の先任者であったルーズベルト大統領下で、マンハッタン・プロジェクトと呼ばれる秘密裏に開発された破壊力のある原子力爆弾の製造が認可された。この状況を引き継いだトルーマンは第二次世界大戦が続く限り、戦争を止めるために日本を侵略する必要があり、両国の大規模な数の軍隊が死亡する状況を阻止する必要に迫られていたとの説がある。トルーマンは彼が原子力爆弾を利用することを決定した場合、日本は降伏し、すべての兵士の命は救われるだろうと推測していたと言われている。そして、トルーマンは1945年8月6日と9日に日本の広島と長崎にふたつの爆弾を投下することを認可した。日本が8月14日に降伏した後に戦争は終焉を迎えた。

数百万の兵士が米国に戻った時、彼らをどのように教育し、働くためにどのように訓練するかを理解する必要があった。そして、トルーマンは世界の再建も援助する必要があった。トルーマンの時代から共産思想が拡大し始めたため、彼はそれを阻止することを望んでいた。そこで、生まれたのがトルーマン・ドクトリンである。共産思想と戦う国に対して、米国は経済および軍事力でそのような国を援助するというものである。トルーマン大統領は、最も歴史的に有名になったマーシャル・プランも導入した。これは戦争で壊滅的な状況になったヨーロッパの都市の再建を援助することであった。米国と共産国であるソビエト連邦との間で、緊張が増加し始め、その後30年間、米国の大統領の心を占領することになる冷戦に発展した。

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