
By Famous People
副大統領であったジョン・タイラーは第9代大統領ウィリアム・ヘンリー・ハリソンがわずか就任31日間で死亡した為、彼は自動的に大統領に就任した後に、偶発的な大統領であると言われた。選出されていない第10代大統領として就任したジョン・タイラーには副大統領は存在しなかった。しかし、彼は大統領としての重責を担う為の適性を十分備えていたと言えるほど、顕著な政治的経験があった。例えば、1816年12月から 1821年3月まで米国下院議員、1825年12月から1927年3月までバージニア州の知事を務め、1835年 3月から同年12月までの短期間にアメリカ合衆国上院の代行大統領を務めた。タイラーは、彼らの政策を支持するだろうと信じたウイッグ党の過度の期待によって1840年に副大統領に指名された。
米国合衆国の第10代大統領:ジョン・タイラー
誕生と他界年: 1790年3月29日 – 1862年1月18日
生誕地: バージニア州チャールス・シティ・カウンティ
就任期:1841年4月4日〜1845年3月4日
政党:ウイッグ(Whig)党から民主党
学歴:ウィリアム・アンド・メアリー大学で法律を学んだ。
有名な表現:”Wealth can only be accumulated by the earnings of industry and the savings of frugality.” (富は産業の収益と倹約の節約によってのみ蓄積することができます。)
珍しい話(1):彼は第9代大統領ウィリアム・ヘンリー・ハリソンがわずか就任31日間で死亡したため、副大統領であった彼は選出される必要はなく、突発的に副大統領から大統領になった最初の米国大統領である。多数の人々は、彼が選出された大統領が保持する全ての権力を保持するべきではないと論議した。ハリソンの閣僚たちは、彼らが国を運営するべきであると主張したが、タイラー大統領は仕事を完全且つ明確に制御することを強力に進めた。
珍しい話(2):タイラー大統領は就任中に寡男になり、再婚した最初の大統領である。しかも、二度目の妻は30歳も彼より若かった。タイラーは二人の妻との間に15人の子供がおり、大統領の中で最も多くの子供を育てた。
珍しい話(3):タイラーは就任2年目にホイッグ党から追放された為、政党のない最初の大統領である。 その後、内閣を南部保守派の民主党に入れ換え、奴隷制度を支持した。
珍しい話(4): 彼は才能のあるバイオリン演奏者であった。彼の二番目の妻は時々ギターを弾くことがあり、タイラーはバイオリンを弾いた。大統領職から退職した時、彼はパーティでバイオリンを演奏した。
タイラー大統領は、ホイッグ党のリーダーたちが望んでいた複数の州に支店を持つ国立銀行を設立するという法案に拒否権を行使し、同様の銀行法案が議会で可決された時も拒否権を行使した。一年後、タイラーが関税法案を拒否したとき、国務長官を除き、全ての内閣は辞任した。ホイッグ党は報復として、ジョン・タイラー大統領を党から追放した。また、拒否権を濫用したとの理由により、タイラーに対する最初の弾劾決議が下院議会で導入され、ジョン・クインシー・アダムス議員が率いる委員会は決議に失敗した。1842年、タイラーは北部の製造業者を保護するため、関税法案に署名した。タイラーはウイッグ内閣を南部の保守派に置き換えた。1844年以降、南部の保守派は民主党に戻り、州の権限、プランターの利益、奴隷制度の維持に尽力した。ホイッグ党は北部のビジネスと工業化を推進するようになった。
注目すべき点は、この時代に、南部の民主党は保守派であったという事である。加えて、ジョン・タイラーは、若い時から厳密な憲法の解釈を信じ、その信念は生涯揺らぐことがなかった。それは彼のレガシーのひとつである。