歴代大統領の珍しい話 :第12代大統領 ザカリー・テイラー

Pastimes: Zachary Taylor - Country Roads Magazine

By Country Roads Magazine

ザカリー・テイラーは大統領に就任する前、米国とメキシコ(米墨)との戦争で英雄と呼ばれた将軍であり、彼の6,000人の軍隊は20,000人のメキシコ軍を打ち負かした。彼は政治の経験は全くなかったが、長年インド人に対する開拓を監視し、米墨戦争で、米国を勝利に導いたことから、国内で最も人気のある軍人の1人であった。それは1848年11月7日に彼が第12代大統領として選出された主要因である。しかし、彼は一年半年以内に、コレラで死亡するが、彼の就任最後の時期に、米国の北部と南部はメキシコから奪われた領土を奴隷制度に開放すべきかどうかについて激しく論争し、一部の南部人は分離を脅かした。テイラー大統領は、団結を保持する準備をしていた。

米国合衆国の第12代大統領:ザカリー・テイラー

誕生と他界年:1784年11月24日 –1850年7月9日 

生誕地:バージニア州バーバァスビル

就任の時期:1849年〜1850年

副大統領:ミラード・フィルモア

政党:ウイッグ党

有名な表現:”For more than half a century, during which kingdoms and empires have fallen, this Union has stood unshaken”(王国と帝国が崩壊した半世紀以上の間、この連合は揺るぎない存在であった。) ”The idea that I should become President seems to me too visionary to require a serious answer. It has never entered my head, nor is it likely to enter the head of any other person.”  (私が大統領になるべきだという考えは、真剣な答えを要求するには私にはあまりにも幻のようです。私はそれを一度も考えたことはなく、他の人も考えた可能性はない。)

珍しい話(1):ザカリー・テイラー大統領はバージニア州バーバァスビルで生まれたが、幼児の頃ケンタッキー州に連れて行かれ、農綿花栽培園で育った。彼の家はルイジアナ州バトンルージュにあり、ミシシッピ州にプランテーションを所有していた。そのような開拓地で育った彼は、公式な教育をほとんど受けておらず、他の多数の大統領とは異なり、大学または法律学校に通ったことはない。

珍しい話(2):テイラーは彼自身が約40年、経験豊かなプロの軍人であると信じており、軍人は政治的にどちかの政党に属するべきではないと考えていた。その為、彼は政治の経験が全くなく、選挙で投票したこともなかった。

珍しい話(3): テイラーは、全ての州が大統領と副大統領に同時に投票した1848年11月7 日に選出された。彼は、南部州が米国から離脱することを停止すると決心したが、彼の子息リチャードは南北戦争で南軍の将軍になった。

珍しい話(4):彼は、米国を統一することを望み、その為の準備をしており、奴隷制度や南部の分派主義を擁護していなかったが、長年の軍人の経験から、彼は自然に民族主義的な考えを抱くようになった。

テイラーは、1812年の米英戦争中、少佐の階級に到達し、戦後すぐに大佐に昇進した。1832年の夏、ソーク族とその同盟であるフォックス先住民族とのブラックホーク戦争で米軍を率いた。また、テイラーは、1835年から1842年の間に、フロリダでの第二次セミノール戦争で戦った。1846年から1848年にかけて、メキシコとテキサス間の国境紛争として始まった米墨戦争(Mexican-American War)で英雄になり、彼は大統領になる前から、有能な軍人として知られていた。テイラーは、大統領就任のわずか16か月後、7月4日の式典でワシントン記念塔の基礎を築きながら、熱射病で倒れ、昏睡状態に陥った。 彼は5日後にコレラの症状で死亡したが、死亡につながった実際の病源は不明であった。医者はテイラーが飲んだ水、彼が食べたバターミルクまたはチェリーからコレラになったと判断した。彼の死は、米国を内戦に導く危機感を益々強める結果になった。副大統領のミラード・フィルモアが、次期大統領の職務を引き継いだことは言うまでもない。

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